長宗我部元親公墓所

付近住所 高知県高知市長浜


長宗我部元親公墓
 長宗我部元親は、天文8年(1539)岡豊城に生まれ、戸の本の初陣以後次々と宿敵を降し、天正3年(1575)には土佐を統一、天正13年(1585)春には遂に四国全土を制圧するも秀吉の南征にあい、同年夏にはその軍門に降り、土佐一国に減封されました。
 元親は武略家としてのはか教養もあり、文化人としても評価が高く、内政面でも立法家として「長宗我部氏掟書」の制定や優れた検地記録である「長宗我部地検帳」の作成など、数々の業績を残しています。
 慶長4年(1599)5月19日、伏見で病没、享年61、法号雪蹊恕三、火化の後遺骨は土佐に送られ、この天甫寺山に葬られました。この墓の形式を宝筺院塔といいます。
 今一代の英傑の眠る静寂のこの地にあって、瞬時の光芒を放ち、やがて歴史上から消え失せた長宗我部一族を想うとき、その哀惜の念止み難いものがあります。

兵士の塚
兵士の塚は、慶長5年(1600)12月 浦戸一揆の戦死した長宗我部氏の家臣を祀ったものと古くから伝えられてきたものである。
 元は、この地から100m程の天甫寺5086池上家の畑の中に、いつの頃からか祀られてきたものであり、歴史的な文献等は確認されていないが、昔から大切に供養し、地理的にも長宗我部信親公の菩提寺であった天甫寺跡に残されてきた事実から、ゆかりのあるこの地に移転したものである。
 尚移転に際しては発掘は行わず御霊魂を供養の上、この地を新たなる墳墓の地として復元したものである。